修士課程を修了後、中外製薬株式会社に入社した三輪光太郎さん。約10年にわたる研究職を経て、マネジメント業務に軸足を移されました。「会社には様々な仕事があり、真剣に取り組めば何でもおもしろい」とおっしゃいます。その一端をお話いただきました。
- どのような早稲田時代を過ごされたのでしょうか?
1973年に理工学部化学科(現在の化学・生命化学科)の1期生として入学しました。化学科は応用化学科から分かれたもので、1学年が25人ほどのこじんまりした学科でした。4年次から高橋博彰教授の構造化学研究室に入り、振動スペクトル、核磁気共鳴、ラマン散乱などを用いて、分子構造の予測と解析について学びました。
研究室では、スペクトル解析するための物質を自前で合成することになりました。有機化学があまり得意ではなかったので、はじめは少し戸惑いましたが、やってみると、とてもおもしろいアプローチであることに気付きました。自分で合成すれば同じ構造の化合物の原子を一部入れ替えたり、水素を重水素に置き換えたりすることができ、スペクトルによる構造解析も自在に行うことができます。論文も投稿させていただき、楽しい研究室生活を送りました。実験に夢中になってしまい、徹夜実験をしたこともあり、高橋教授が守衛所から苦情を言われたそうで、申し訳ないことをしました。
- 卒業後は中外製薬に入社されましたが、研究室時代から製薬系を希望されていたのでしょうか?
いいえ、実はそうではないのです。私が入学した1973年は、第4次中東戦争の勃発によりオイルショックがおきた年でした。それまでは、総合化学メーカーが理工系新卒者を大量に採用しており、私もそのような道に進むことになると考えていたのですが、オイルショック以後の不況で多くの企業が採用を中止する事態となりました。同級生もみな、就職活動で苦労していましたが、私も紆余曲折の末に中外製薬に入社することになったのです。研究室時代に創薬を意識したことはありませんでしたが、入ってみると創薬の世界は非常に興味深いものでした。
- その後は、研究を離れられましたね。
はい。次の10年は、労働組合の専従職員でした。最後は労組委員長を務め、1995年に本社の経営企画部に戻ることになりました。
私は人と話すことが好きですので、研究を離れて本社に戻った後も、さまざまな人との出会いを楽しみながら働いてきました。たとえば、製薬企業団体の代表であった弊社社長(当時)をサポートして、政治家、官僚、学会、マスコミを相手にロビー活動をしたこともあります。「創薬には最先端の科学と、莫大な開発費と年月が必要。日本には創薬の基盤がある。世界中から、優秀な研究者とマネーを呼び込んで、日本を新薬の発信地にすべき」という声を上げて理解を求めたことも、いい思い出です。
人事部時代には、採用や人材配置に加え、人の能力を伸ばす、働きやすい環境を整える、などの業務に当たりました。ちょうど中外製薬が日本ロシュと合併し、ロシュグループの一員となった時期と重なり、新たな人事評価制度のもとで、二つの会社が一日も早く一つになるように取り組みました。研究畑出身の私には、研究者の気持ちがある程度理解できましたので、採用や人材育成などでは理系のバックグラウンドがとても役に立ったといえます。
次に移った製薬企画部では、世界各国の制度に準じた品質検査や納品のためのシステムづくりを進め、ルールや責任分担を決める「サプライチェーン業務」を担当しました。私たちの製品のサプライチェーンは世界中に広がっており、欧米各国と日本とで分担しているので、その管理はきわめて重要となります。
現在は監査役として、不祥事の芽がないか、会社が倫理に外れ暴走していないか、といったことを、年1回の部長全員との面接なども通してウォッチし、内部統制をはかっています。
ひとつのことを成し遂げるには、ある程度の年月が必要です。しかし、どのような仕事でも真剣に取り組み、成し遂げたあとには「楽しかった」という充実感が待っていると思います。
- 2002年のロシュ社との戦略提携後、社内ではどのような変化がありましたか?
合併した日本ロシュとの間に、業務の進め方や文化の違いもあり、当初は苦労しました。10年経過した現在では、完全に一体化し、ロシュグループ内での人材交流が活発にはかられています。たとえば、常時20人ほどの様々な分野の若手社員が、ロシュ社に派遣され、グローバルプロジェクトに参加しています。海外に出て、チームの一員として、英語で仕事をするのは大変だと思いますが、その国の考え方、仕事の仕方、文化などを理解するのはとても重要だと思います。海外に行くとグローバルな視野が育って、みなさん「大きくなって」帰ってきます。
一方で、欧米からも日本に来てもらい、日本ならではの厳格な品質管理のしくみなどを学んでもらっています。海外出張やテレビ会議も多く、積極的にコミュニケーションをとることが必要不可欠です。
- 中外製薬として、どのような人材を求めていらっしゃいますか?
私たちは、遺伝子組み換え技術や動物細胞培養を駆使したバイオ新薬開発のフロンティア企業であると自負しています。最近では、IL-6をターゲットにした国産初の抗体医薬品「アクテムラ」が、世界100カ国以上で承認されています。国内では他の追随を許さない状況にありますが、私たちとともにロシュ傘下にいるアメリカのジェネンテックなどは、世界中から優秀な人材を集め、強力に研究開発を進めています。そこで中外製薬もまた、社内の多様化をはかるべきだと考えており、そのための人材を欲しています。
現在でも文系、理系、学部卒、大学院卒、ポスドク経験者、医師など、幅広い学歴・経歴の社員が活躍しています。しかし、新卒一括採用という日本企業の従来からの慣習は、しばらく続くと考えています。採用時には、入社後の荒波にもまれ、立ち向かい、時には流れに身を任せることがあっても、最後には成し遂げられる人材かどうか、その可能性を見極めようとしています。こうした観点から私が人事部長だったときには、専門性に加え、主体性があるか、他の社員とうまくコミュニケーションを取れそうか、といったことを重視しましたね。理工系の方は、努力する姿勢がとくに身についていると感じます。必ず、仕事をする上での強みになるはずです。
また、今や英語力が必須となっていますが、みなさん優秀で、異文化への適応力もあり、頼もしい限りです。学生の諸君には、社会人になる前に、一度、海外に出てみることを薦めたいですね。
- 理工学部の学生、あるいは、これから早稲田を目指そうと思っている方々へのアドバイスをお願いいたします。
理工学部の諸君には、西早稲田キャンパスに閉じこもらず、いろいろな人と交流してほしいと思います。早稲田は大規模な総合大学なので、他の学部や学科の人と、いくらでも交流できます。研究をしていると「引きこもり」になりがちですが、早稲田はそうならずに人と付き合うことを教えてくれると思います。因みに私は、ジャズ愛好会に入っていました。そこで知り合った友人は、私とは全く異なる方向に進んで活躍し、今では異業種交流できる貴重な仲間です。
一方で、学科は小規模な単位なので、密な交流が生まれます。しかも、研究室は教授を頂点にしたピラミッド構造ではなく、ポスドク、大学院生、学部生などが、和気あいあいと研究できる自由な雰囲気に満ちています。卒業後のつながりも深く、産業界には多くのOBがいますので、その点でも恵まれていると思いますね。高校生の諸君には、ぜひ早稲田へどうぞ、といいたいですね。
- ありがとうございました。
西村尚子/サイエンスライター
※所属はインタビュー当時のものです。