応用物理学科では小松進一教授の研究室に在籍し、光コンピュータ研究を専門にした橋本 武さん。オリンパスに入社後は、顕微鏡と内視鏡の研究開発に携わり、現在はライフフォトニクス技術開発部の部長として、30人余の部下を率いています。
- なぜ早稲田に進まれたのでしょうか?
英語が好きで英語の教師になりたいと思っていたのですが、高校2年生のときに物理の勉強を始め、次第に相対性理論や宇宙の壮大さに興味が湧き、物理をもっともっと深く学びたいと思うようになりました。本音を言うと、当時は物理ができるのなら早稲田でなくてもよかったのですが、早稲田に縁がありました。素粒子などを対象にした基礎研究に携わりたかったので、入試では第一希望を「物理学科」としましたが、合格したのは第二希望の「応用物理学科」でした。
入学してみると、周りには実にユニークな人があふれていました。応用物理学科だけに限っても、フェンシングに夢中な人、体育会アメフト部の人、ワセオケ(早稲田オーケストラ)で楽器を演奏する人、車好きでフェラーリにのめり込んでいる人などがいましたね。
- 専門として、なぜ光学を選ばれたのでしょうか?
学部の3年次にホログラムの実習があり、光のおもしろさに魅せられてしまったからです。内容を簡単に説明すると、「物に当てた光の反射光に、同じ光源の光を別の角度から干渉させて感光材料に記録し、これにさらに別の光を当てて元の物体の立体像を作り出す」という実習です。記録したホログラムを半分、四分の一と切り刻んでもきちんと全体が写るという光の特性に大いなる可能性を感じ、光学研究を自分の専門にしようと考えました。
小松進一教授の下で、卒業研究ではスペックル干渉法という光計測手法の研究を、修士課程では光コンピュータの研究に携わりました。1980年代当時、光コンピュータ研究が国内外で広く注目され、日本でも多くの先生が研究を始められていました。企業でも、NTTを中心に多くの大手電気メーカーや光学メーカーが開発に着手していました。たとえば、電子デバイスを利用したCCDカメラは3次元の空間情報を1次元でスキャンしながら読み出しますが、光はレンズ1枚で2次元のまま情報を伝送し像を結ぶことができます。この光の超並列性をうまく使って、超高速のコンピュータを実現しようと言うのが光コンピュータのもくろみでした。ただしその後、実用化まで至らず、光コンピュータ研究はすっかり下火になってしまいました。一方で、近年はフォトニクスという名前で、光がまた脚光を浴びるようになってきていますね。その根底には、光コンピュータの思想や経験が引き継がれています。
- オリンパスに入社後も、一貫して光学の世界にいらっしゃいますね。
幸運なことに、入社時にオリンパスは、「光コンピュータ研究を続けてよい」と言ってくれ、約15年、研究に没頭しました。結局、企業として光コンピュータ開発から撤退することになり、顕微鏡の開発を手がける事業部に異動しました。そこで、顕微鏡について一から勉強することになったのですが、その過程で、光コンピュータ研究で培った「一瞬で光の性質を変えたり、伝えたりできる光情報処理技術」が役立つことに気づきました。顕微鏡と合わせて、内視鏡の開発にも携わることになりましたが、どちらも光コンピュータ研究の応用という意識で研究に取り組みました。
小松進一教授の下で、卒業研究ではスペックル干渉法という光計測手法の研究を、修士課その後は、ライフフォトニクス技術開発部一筋で研究をしています。生体組織や細胞といった生体試料を蛍光顕微鏡などで観察し、これまで見えなかった微細なレベルで、高精度にとらえる先進技術の開発がミッションです。共同研究させていただくのは医師や生命科学の研究者で、私は、社の代表として、彼らと議論しなければいけません。そこで、分子生物学や病理学を独学で猛勉強し、常に、先生方が何を求めていらっしゃるのかを理解するように努力しています。早稲田時代の専門の上に、オリンパスで新たな知識を積み重ねて、それらが相乗効果をあげている、という感じでしょうか。ありがたいことに、海外を含め、多くの共同研究のオファーをいただいています。あるときは、アメリカの光通信研究の第一人者の先生が、一緒にやろうといってくださいました。ご自身は基礎研究者なのですが、それでいて応用展開を意識した広い視野を持っておられ、そのアグレッシブな行動力に圧倒された記憶があります。
このようなオファーをいただけるのは、私たちがライフサイエンスの基礎から臨床医療に至るまで、幅広い場で使える技術を持っているからであると自負しています。光学メーカーとしてはとてもよいポジションにいて、しかも、自分がそのなかで日々研究開発に携わることができることをとても幸せに思っています。
- 部長として大勢を束ねる立場として、どのようなご苦労がありますか?
あくまでも個人の見解ですが、私は、研究開発の部長職は、研究室を運営する大学教授と似ているのではないかと考えています。部長の役目は「部下がやるべきことを決め、そのための予算を確保し、必要に応じて助言を与え、成果を出してもらう。もしうまくいかなかったら自分が責任をとる」といったことにあります。部長になりたてのころは、メンバーを自分の思い通りに教育しようと躍起になっていたのですが、それではうまくいかず、今は「その人の良さを、いかに引き出せるか」を考えるようにしています。相手を自分と同じカラーに染めるのではなく、彼らがそれぞれ独自に持っているカラーを良い部分として引き出せれば、その人を活かすだけでなく、部内に多様性をもたせることもできます。一緒に昼ごはんを食べたときなどに、彼らが「実験がうまくいきました」と嬉しそうに話してくれるときに、私自身大きな喜びを感じますね。
現在は、修士卒を中心に、博士卒、ポスドク修了者など、30人ほどを束ねています。外国籍の人もいますし、専門も基礎から応用までさまざまです。部では「いつもアクティブに前向きに行動しよう、自らの存在価値を考えよう、熱意をもって何をやるべきかを考えよう」という趣旨の行動指針を出しています。実は、その行動指針を印刷した文字の背景は、アフリカのサファリの写真です。その理由は、ライフフォトニクス技術開発部を「檻の存在しない、サファリのようなもの」と思っているからです。
- 部長としては、どのような人材を高く評価しますか?
「異質な」人ですね。といっても、コミュニケーションが成り立たないような変わり者というのではなく、ポリシーや主体性をもつ、よい意味で「とんがっている」という意味です。実際、採用担当として、1日に物理系の学生5〜6人と面接することがありますが、基本的にはみなさん良くできて「同じ」です。そのような中では、主語を「私たち」ではなく「私」として話せる学生に目がいきますね。
面接時に目立っていて記憶に残った人は、入社後も活躍しているケースが多いと思います。理系というと、研究一筋、ひかえめでコツコツ型が多いのですが、日本の企業が世界で生き残るためには、よい意味で異質な人材も必要だと考えています。研究開発には解答はないので、ポリシーや熱意がなければ続きません。熱意があれば、仮に失敗しても「やりきったという実感」や「次に挑戦すべき課題」が得られるはずだと考えています。
- 最後に、早稲田の後輩へのメッセージをお願いします。
早稲田へ入学することは、一つのきっかけに過ぎません。それよりも、次に何ができるのか、将来どうするのか、といったことを常に考えて行動してほしいですね。私は、教職課程を取り、体育でヨットに挑戦し、応用物理学科以外の人とも大いに交流しました。一方で、専門教育において、国内外の第一線の研究者の方々にも多くのことを教えていただきました。さらに宇宙航空研究会に入って、防衛大の学生と一緒にロケットエンジンの燃焼実験をしたりもしました。
こうした多様性こそ、早稲田の最大の利点だと思います。みなさんも、いろいろな経験をして、自分にしかできないこと、主体的にやりたいことをみつけてほしいと思いますね。普段は各自が自由に我が道を進んでいながら、いざ早慶戦などでは一体感が味わえるのも早稲田ならではの楽しみでしょう。早稲田が優勝したときの応援や提灯行列での盛り上がりは、今でも忘れられない思い出です。
オリンパスは光学企業として、都内の大学などで顕微鏡や内視鏡の光学技術を紹介する授業を実施しており、私自身が担当することもあります。将来的には、大学や理工系教育に力を入れている高校などで、本格的に光学教育に携われると嬉しいと思っています。もしそれが母校の早稲田で実現したら最高ですね。
- ありがとうございました。
西村尚子/サイエンスライター
※所属はインタビュー当時のものです。